平澤新三郎さんは給食の思い出は何かありますか?
給食、懐かしいですね
私は戦後まもなくの昭和21年に小学校に入学しました
では食べるものにご苦労をされたのではないでしょうか
田舎の出身なのでそこは苦労しなかったのです
長野県の伊那市出身ですので食べ物は豊富でした
羨ましいわ!私は毎日お腹が空いて空いて…
給食の時間が楽しみだったもの
そうそう、あの頃はいつもお腹を空かせていたね
学校給食は明治22年に始まり、当時は貧困家庭の子どもを対象に実施されました
食糧難の時代には栄養を取るための大事な手段でした
脱脂粉乳は生あたたかくて粉っぽくて
鼻をつまんで飲んだわよね
飲み切らないと怒られてね
残すなんてもってのほかの時代だからね
私の地域は乳牛が飼われていたので脱脂粉乳は飲んでいないんだ
それは恵まれていたわね
大鍋の脱脂粉乳をおたまですくって配るのよ
その匂いが強くてね
脱脂粉乳とは牛乳から脂肪分をぬいた粉ミルクを水でとかしてあたためたもので、独特のにおいがあるので苦手な子どもも多かったようですね
鯨肉もよく食べたね
固くて味にクセもあってね
見た目もそのままゴムのようだったわね
薄いお肉に衣がたくさんつけてあったわね
今では高級食材の鯨肉ですが、
当時は捕鯨を推奨していたこともあり給食に登場していました
低カロリーで高たんぱくなため育ちざかりの子どもにピッタリの食材でした
私は給食ではなく自宅からのお弁当に加えて、
学校で出るお味噌汁だけが給食と呼べるものだったなぁ
栄養管理は各家庭に任されたいたのですね
どこの家庭も栄養管理というほどのことはしてないと思います
持参したお弁当といっても米に野沢菜、野菜の煮物程度です
土地柄、野菜をたくさん摂取されていたのですね
長野県なので魚ではなく肉が多いですが、夕食には家畜である鶏を食べたりもしました
給食ではないけれど新三郎さんは家庭料理でバランス良く食べていたのですね